6月議会が終わった

一般質問では、2年前の卒業式の「君が代」斉唱時に起立せず、違法な手続で「戒告処分」と「再任用合格取消」処分を受けた元南平台小学校教諭山田先生の問題を取りあげた。以下はその質問。


 1999年(平成11年)3月10日、私の娘が通学していた大阪府立高槻養護学校(現高槻特別支援学校)高等部で卒業式が行われました。それは「手作りの卒業式」と言われるに相応しいものでした。古い体育館は手作りの色とりどりの花で飾られ、壁には赤、ピンク、黄、緑、白、紫の虹が架かり、その上を鳩が飛び交い、さらにその上には白を背景にした金色(こんじき)の立体文字での「卒業おめでとう」の掲示、卒業生の後ろにはこれも手作りの金屏風に菖蒲(しょうぶ)、その上に赤、黄、緑、ピンク、の「おめでとう」の紙文字。生徒も先生も一緒に高等部で3年間、永い生徒はこの養護学校で12年間学びあってきたこの学校を巣立つことを祝うに相応しい「生徒が主人公」の卒業式が準備がされていたのでした。
そこには、「日章旗」も「君が代」もありませんでした。当時から、一部に卒業式や入学式に「日章旗」「君が代」導入の声もありましたが、教職員組合もこれに反対でしたし、私の家内も学校に申し入れに行き、当時はそうした教職員や市民の意見を聞いた上で式が行われていたのでした。
ところが、この出来事から13年たった2012年(平成24年)3月19日、高槻市立南平台小学校を舞台にして、この時の私の経験とは似ても似つかない信じられない事件が起こったのです。当時同校に勤務していた山田肇(はじむ)先生は、ちょうど満60歳で、教育委員会に再任用の希望を出し、その年の2月16日に合格通知をもらっていた先生でした。当時の服務監督者(地方教育行政の組織及び運営に関する法律§43−1)である南平台小学校の校長の勤務評価はS評価でした。しかし、この先生は、自らの意思として、同校の卒業式での「君が代」斉唱時に起立せず、「君が代」を斉唱しませんでした。そして、今でもこの時、ご自分がとられた行動に確信をお持ちになって活動しておられる私にとって尊敬すべき先生なのです。
 ところが任命権者である大阪府教委は、「君が代」斉唱時に起立しなかった教員についての報告を、服務監督者である高槻市教委に求め、高槻市教委は、山田先生が「起立せず斉唱しなかった」という事実を、高槻市教育員会の会議の議決を経ずに、3月26日、一瀬教育長の専決処分のみで大阪府教委に内申したのです。山田先生はこの「適法とは言えない」一瀬教育長の専決処分による内申で、3月27日、大阪府教委から「戒告処分」を受けるとともに、その後この「君が代斉唱不起立事件」にまつわる調査経過を「勤務成績不良」の理由とされ、「再任用の取消」の処分を受けるにまで至ったのです。
 山田先生の信念は変わらず、任命権者である大阪府教委のこの処分を不服とし、大阪府人事委員会に「不服申立」をされました。大阪府人事委員会は、2年にわたる審議の結果、2014年3月24日、高槻市教委のこの山田先生の大阪府教委への内申は、「高槻市教委の議決を経ておらず瑕疵がある」と事実認定し、山田元教諭に出された「戒告処分」を取り消しました。
この事実を、大阪府人事委員会の決裁書は次の通り述べています。「市教委の内申が、府教委の懲戒処分の手続要件であり、市教委の服務監督の実質を保持するための制度であるとすれば、市教委の議決を経ない内申による本件処分は、懲戒処分をすべきか否か、及び懲戒処分の種類についての、市教委の議決による適法な内申を欠いた懲戒処分というべきであり、本件処分は、違法な処分と言わざるを得ない。」と。
この決定が報道されて数日後、高槻市教育指導部名の「本市小学校元教諭の戒告処分の取り消しに係る報道について」という文書が、責任者名も書かず、宛先も各位という配布された者にとって配布範囲がわからないまま、各市議会議員の控室の机の上に配布されました。普段なら、責任者名を明確にし、誰に当てたのか(多くは高槻市議会議員各位が使用される)はっきりした文章がFAXでいち早く知らされるのですが、土日を挟んでいたとは言え、この取扱も特別なものでした。そして、文書の最後に、高槻市教委の認識として、「当時の事務手続について、問題であるという認識はございませんでしたが、今後につきましては、大阪府教委と協議の上、対応してまいりたいと考えております。」と結ばれていたのです。
そこでこの問題について8点お伺いします。
 1点目は、高槻市教育指導部名の「本市小学校元教諭の戒告処分の取り消しに係る報道について」という文書の宛先は各位とありますが、誰に対して出されたものなのでしょうか。
 2点目は、任命権者である大阪府教委への内申について、内申した当時は高槻市教委は「問題はない」という認識だったとのことですが、配布された文書にある通り、大阪府教委と協議した結果、高槻市教委はどのような認識をお持ちになるに至ったのかお答えください。
3点目、大阪府教委との協議の結果、高槻市教委が問題があると認識なさったとすれば、どの法律の第何条のどの部分について適法性を欠いたのか。高槻市教委は、これまでずっとこの法律の適用を誤って運用してきたのか。一定の時期までは法に則って運用されてきたものが、いつの時期からかこれがされなくなったのか。その根拠についてもお答えください。
4点目は、山田元教諭は高槻市の「適法な内申を欠いた懲戒処分」、「戒告処分」を受けられたわけですが、この「君が代斉唱時に起立して斉唱しなかった」という「適法でない内申」、これを理由に「戒告処分」を受け、さらにこれにまつわる山田元教諭の一連の行動を理由に、「再任用」という新規雇用が一旦約束されたにもかかわらず雇わない、再雇用を拒否されたのですから「合格取消」。あるいは、「再任用」通知を「雇用継続通知」と考えれば、「懲戒解雇」に当たる重い処分を受けることになったわけで、高槻市教委の教育行政における責任、雇用者として被雇用者である教員の勤労権という基本的人権に関する意識が極めて希薄で、その責任は非常に重いと考えるべきですが、これまでこの内申に当たった高槻市教委の責任者の懲戒処分はありませんし、法を犯したことについての山田元教諭や同教諭が所属する労働組合「学労ネット」関係者への謝罪もありません。
 公務員が法の適用を誤ったときは、当事者への謝罪と市民への謝罪として、責任者の「懲戒処分」が常識と考えますが、今後この懲戒処分の問題にどのように対処なさろうと考えておられるのかお答えください。
 5点目は、再任用制度の当時の実態についてです。平成20年から平成24年まで、そして平成25年3月の閣議決定によって新制度が始まる、平成25年度末の教員の再任用希望者数、又そのうち本人側の理由ではなく、府教委の裁量により再任用されなかった者の数、また、その理由の内訳についてお示しください。
 6点目、処分の取り消された山田元教諭の今後の処遇についてどのように考えておられるのか。山田元教諭の希望は、残された65歳までの再任用期間、いわゆる「ネグレクト」などを理由として入所している「希望の社」施設内学級で、同教諭の最後の力を振り絞って教育を行いたいとお考えです。私は、市民と山田元教諭、何よりも南平台小学校に学ぶ全ての生徒たちにも率直にこの間の高槻市教委の不手際をわび、大阪府教委に改めて山田元教諭教諭の再任用を働きかけるべきであると考えますが、この点について高槻市教委はどのようにお考えでしょうか。
7点目は、山田元教諭と同じく、教育委員会の議決を経ず、教育長の専決処分の内申によって懲戒処分を受けた方はほかにおられないのか。おられるとすれば、年度別に何人おられるのかお答えください。又、こうした方がおられるとすれば、その方々の給与などの「直接の不利益」、実損に対して、高槻市教委はどのような態度で臨まれるのかお聞かせください。
8点目はこれらの理不尽な高槻市教委の態度に抗議しに来た市民団体「山田先生を支える会」会員に対する接遇態度です。最初から人数制限をする。発言者の制限をする。時間制限をする。信じられない話ですが「会場に凶器を持ち込んではならない」との注意もありました。高槻市教委は市民の意見を聞く場も通常の方法で持てなくなってしまったのでしょうか。以上お答えください。







Q.2
 文書の宛先は教育委員、市長部局の関係理事者など内部にのみ発出された文書であることがわかりました。また、高槻市教委の内申について、「高槻市教委の議決を経ず」誤った手続で内申を行っていたこともお認めになりました。山田さんの立場に立った言葉で言えば、「高槻市の違法内申による戒告処分が取り消された」ということです。以前は正規の手続にのっとって正しく内申されていたものが、20年以上前に取扱に変更が生じ、その経緯は昔のこと故不明であるとのことです。全く信じられないことです。そして、これまで陳謝を行ったのは、教育委員会の席上、教育委員並びに市民に対してのみに行ったこと、それ以外の方については行っていないことも明らかになりました。果たして教育委員会で教育委員に謝罪しただけですむことなのでしょうか。
 こうした経緯からして、要するに「内申手続について瑕疵を起こしたことについては謝罪するが、その内申の事実関係は間違っておらず、謝罪の対象にはしていない。」また、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)に違反したことは認めず、法を犯したことを謝罪しない」というご判断のようです。
 だから山田元教諭には謝罪しない。山田元教諭と同じく、不適法な内申で処分を受けた方についても「不適法な内申であったが、内申した事実関係に変わりはない」、だから、不服申立の時効については、一方に「不適法な内申であったという事実を知った日から起算する」という説があるにも関わらず、「すでに時効が成立している」との一方的な判断をなさって、該当者に改めて不適法な通知であることを知らせようともしない。謝罪も実損回復もしないというお考えのようです。
 つまり、「非違(法にたがう)行為をした方を高槻市教委の不適法な処理によって罰することが出来なかったことを謝罪する」と言うに等しい内容です。また、再任用については、97%以上の方が採用されているという統計実績もお示しいただきました。10名足らずのわずかな人数で抗議に行った市民を打ち合わせを超えた人数だったからと暴力集団呼ばわりする。「交渉を混乱させるもの」と一方的に認定する。これが高槻市教委の考え方と言うこともよくわかりました。
 さて、山田元教諭の話にもう一度戻りますが、山田元教諭の「戒告処分」と、その処分によって「再任用取消」が行われたこと、この事実は誰が考えても(再任用取消を妥当とされる方でも)、一連の流れであると考えるのが妥当であると思います。再任用合格通知が山田元教諭の元に届く2月16日まで、また、山田元教諭に勤務の評価シートが手渡される卒業式3日前の3月16日まで、南平台小学校での山田元教諭の勤務評価は「S」でした。このことを、大阪府教委は大阪府人事委員会の審理では、「不知(知らない)」としたのですが、同教諭が2012年(平成24年)2月16日の時点で、「再任用合格通知」を受けていることからも、「君が代」斉唱時の不起立までの山田元教諭の勤務評価は、人事院が再任用の選考基準に言う「従前の勤務実績等に基づく選考」では、「勤務評価が良好」であったことは間違いありません。
  もともとこの再任用制度とはどういうものだったのでしょうか。勤労者の年金制度が改悪され、60歳から満額支給されていた年金が、報酬比例部分のみの支給に変わり、報酬比例部分支給開始が順次引き上げられたことから、その救済措置として始められたものです。人事院の説明では、再任用は先ほど申し上げた「従前の勤務実績等に基づく選考」とされ、短期間の一つの行為で再任用がされないことは考えられません。また、人事院は平成23年9月30日、国に対して「定年を段階的に65歳に引き上げるための国家公務員法等の改正についての意見申出」を行い、内閣は人事院の申出を踏まえつつ、平成25年3月26日の閣議決定で、この制度を大きく改善し、国家公務員、地方公務員の無収入期間が発生しないように、「再任用を希望する者については再任用する」ことになったのです。それ以前もよほどの特別な事情、例えば「体力的に職務に耐えられない」などを除き、「再任用」されてきたのが実態です。これは先ほどのご答弁で97%以上が再任用されていることからも明らかな事実です。
 山田元教諭に対する「戒告処分」が、「適法な内申」がないから大阪府人事委員会で無効となった現在、大阪府教委が懲戒処分の根拠にする「君が代斉唱時の不起立」あるいは「君が代斉唱時の不起立という事実確認調査等にまつわる非違(法にたがう)行為」の問題は、事実関係がどうであったか、誰かが現認したという問題ではなく、「適法な内申のない処分は許されない」とした昭和61年3月13日最高裁判決にてらしても、再任用制度の出来た経過からしても、公務員としての経験則からしても、あり得ない任命権者の裁量権の逸脱・濫用、恣意的選別、もっと言えば、卒業式での「君が代」不起立に端を発した一連の経緯は、大阪府教委、高槻市教委事務局が、南平台小学校を舞台にして、共同して行なった「思想差別」事件、公職追放事件とも言えるものではなかったのでしょうか。
 「戒告処分」と「再任用取消」とどちらが皆さんは処分が重いとお考えでしょうか。「戒告処分」の方が重いと考える方はいらっしゃるでしょうか。誰が考えても、60歳から65歳までまだ働ける。そしてその制度が確立しているのにその勤労権を奪う、その収入源を奪う、生活権を奪う「再任用取消」の方が重い処分とお考えになるでしょう。最高裁も、「戒告を越えてより重い減給以上の処分をするには慎重な配慮が必要」であると、平成24年1月16日判決ではっきり断言しているのです。それなのに、服務監督者の意見も聞かず、大阪府教委は「再任用の取消」まで行ったのです。
 この「再任用」問題と懲戒処分について、現在の裁判所の判断は分かれていますが、平成21年1月19日の東京地裁の判決が、再任用制度発足の経過からしても、38年間の公務員の経験のある私の経験則からしても納得のいくものです。そこでは、「再任用、再雇用はほとんどの希望者になされ、期待しうる利益になっており、裁量権もこの見地から制限を受ける。(この裁判では職務命令は合法としているが)本件不合格は職務命令違反をあまりにも過大視する一方で、当然考慮すべき勤務成績に関する事情をおよそ考慮した形跡がないのであって、客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くもである。」として、国家賠償を認めているのです。前に座っておられる教育長はじめ部長さん方のご自分の感覚としてはこれに近いものではありませんか。
 そこで改めてお伺いします。それはこの事件の一番の被害者は誰かと言うことから始まります。私は一番の被害者は当時の南平台小学校長も、その教育指導評価を認めていた山田元教諭の指導を受けられなくなった希望の社施設内学級の子どもたちであると思います。教育長は教育委員や市民には謝罪するが、一番大切な教育を受ける側の生徒、そして仲間の先生に謝罪しないなんてことがあるでしょうか。
 そして山田元教諭、元教諭の属していた組合である「学労ネット」への差別的取扱についての謝罪、法の適用を誤った、そしてその適用を誤るに至った原因を調査してもわからないという教委事務局、行政を混乱させた市民と教育委員に対する責任、教育委員会事務局を司る一瀬教育長の責任、これらの責任をはっきりさせるための内部懲戒処分を教育委員会に申し出てこそ、行政の謝罪になると考えるのですが、実際に処分を行うお考えはあるのでしょうか。お答えいただきたいと思います。



















Q.3 
 私は教育長自身が自らを処分する気があるか担当責任者を処分する気があるかどうかを聞いているんです。市長は教育長を処分する権限がないから怖いものなし、教育行政に対する信頼を傷つけても、教育委員と市民に陳謝さえすれば教育長という立場はすべてを水に流せるんですか。直接の実行行為者と監督責任者は懲戒処分を受けるのが当たり前ではないですか。決して教育委員会で謝って済む問題ではない。監督責任で処分された方はこれまでにもいくらでもいるではないですか。公務員は処分を受けてこそ謝罪したことになるのです。教育委員さんと市民の皆さんだけでは足りない。そして、謝罪する相手はまだ残っていますよと、私はそう言っているんです。
 山田元教諭教諭とそのお仲間の先生たちがお調べになると、「君が代起立斉唱」の職務命令は、特定の組合「学労ネット」組合員に対してのみ発せられているということもわかってきました。
 「学労ネット」組合員以外にも、卒業式当日「君が代」斉唱時に起立するかしないか明言していない教諭はいらっしゃったのですが、学労ネット組合員以外の教諭については職務命令は発せられることはなかったのです。これは明らかな日本国憲法第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 あるいは地公法第56条の(不利益取扱の禁止) 職員は、職員団体の構成員であること、職員団体を結成しようとしたこと、若しくはこれに加入しようとしたこと又は職員団体のために正当な行為をしたことの故をもつて不利益な取扱を受けることはない。に違反するもの、民間で言う不当労働行為です。
 この事実について、大阪府人事委員会はさしたる根拠もなく、学労ネットの組合員だけだったと言う大阪府教委の主張を認容しているのですが、具体的証言が得られにくい状況の下での調査なのに、その点を全く加味しておらずその不備を免れません。
 先ほど私はこの事件は「思想差別事件」と申しました。しかし、よくよく考えてみると、山田先生には大変失礼なのですが、「日章旗」「君が代」に忌避感をもつことがそれほどに強い「思想」と言えるものでしょうか。戦後日本の「常識」と言って差し支えないものではありませんか。
 過去の戦争による300万を超える国民の悲惨な「被害」、その最たるものが広島と長崎への原爆投下でした。そして日本のアジア侵略による2000万人を超えるアジアの民衆を殺戮した日本の「加害」、その反省を踏まえたうえでのまっとうな戦争体験者の戦後の生活感覚、歴史感覚であると私は考えます。その意識、こんな侵略戦争はもうこりごりという意識が1946年に「日本国憲法」を産み出して1947年に施行された。戦後67年にわたって一切変えられることなく、全世界の国民に「日本国憲法」は支持されてきたのではないでしょうか。
 そして、旧教育基本法は、その前文で、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。(われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。)ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」とうたい、憲法の理想を教育に託したのです。
そして、憲法第97条で、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」のです。
 山田元教諭がとられた行動は、この日本国憲法教育基本法の規定に照らして間違った行動であったでしょうか。過去の歴史に学び、日本国憲法を生み出した日本人の意識をそのまま受け継ぐ真摯な行動ではなかったでしょうか。これをとがめる方が、ある一つの偏狭な思想に凝り固まっていると私は断ぜざるを得ません。
 高槻市にはたくさんの外国籍の方も住んでいらっしゃる。「多文化共生」が市政方針の大きな柱になっています。その地で、戦時中、日本軍が日章旗を掲げ、君が代を歌い、侵略した国の国籍をもつ生徒も居る学校の卒業式という場で、日章旗を掲揚し「君が代」を斉唱出来るでしょうか。どちらが常識ある行動かよくみなさん方にも考えていただきたいのです。この事件で本来処罰されるのは誰なのか、もう一度よく考えていただきたいのです。

 再び冒頭の私の娘の卒業式の話に戻ります。
 式は、卒業生の入場、校歌の斉唱、卒業証書の一人ひとりへの授与と続きます。
 そして、在校生と学校生活の思い出の語り合い。言葉がしゃべれる生徒は1人で、出来ない生徒は助け合ってみんなでその思いを語ります。入学式、生活発表会、修学旅行、その思いに変わりはありません。在校生からは「先輩たちと楽しい思い出たくさんつくりました。寂しくなりますがこれからもがんばってください」卒業生のみんなは、「思い出の宝物が増えました。これから、悲しいことつらいこといろんなことがあるでしょう」「僕たちは未来に向かって歩いて行きます」「今までに出会えた人たち本当にありがとう」そして最後は、全員でキロロの「未来」の合唱です。ここで会場は、卒業生の門出を祝う場と全く一つになる,生徒の学ぶ力と教諭の教える力が合体するのです。
もちろん歌える生徒は大声で、歌えない生徒は体を振ってリズムをとったり、とにかく声を出しその雰囲気にみんなが染まってしまう。日頃は走り回っている生徒も、大声を出している生徒もこの卒業式の時ばかりは本当に落ち着いて行動が出来ました。何よりも式の主役は生徒であることを貫徹され、子どもの個性や発達段階に応じた教師の工夫に生徒がこたえる。儀式ではなく、教育課程のひとつの段階としての演出をみごとに成功させた先生方はほとんどの先生が涙を流しておられる。こんな感動的でみんなの力を思う存分発揮できた卒業式があったでしょうか。
会場には「日の丸」も、「君が代」も流れませんでした。学校全体で取り組んだ式典が、とても「日の丸」「君が代」を登場させる雰囲気にはならない。みごとな演出、まさに未来への一歩を開くに相応しい卒業式だったからです。
この議場の皆さんは、子どもたちが主役の「卒業式」と単なる学校における「厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われるべき儀式」としての卒業式、どちらを選ばれますか。どちらが教育として相応しいでしょうか。

 改めて申しますが、高槻市教委は戦後教育の原点に返り、山田元教諭に謝罪してその身分保障を行うこと、学労ネット組合員に対する差別的扱いを謝罪すること、一番の被害者である山田元教諭の属していた「希望の社」施設内学級の子どもたちはじめ関係者に謝罪すること。不適切な内申により本来取り消されるべき旧処分者の「直接の不利益」を回復すること、不適法な内申を行った責任者である一瀬教育長はじめ関係者を処分することで教育行政の混乱について市民に謝罪すること、そして、これらの問題について、組合である「学労ネット」、市民団体である「山田さんを支える会」と真摯に向き合って話し合いを継続し、高槻の教育行政に汚点を残さないでいただきたいと言うことを強く要求して私の質問を終わります。


傍聴にお越しいただいた皆様、お忙しいところありがとうございました。
明日からまた、来年の選挙の政策作り(手直し)が始まります。