今日からダッシュ

 昨日はお寺と四天王寺へ例年通りのお参り。四天王寺では大吉と出た。幸運なスタートであった。

 思い起こすと、昨年、いや一昨年になるが、立候補を決意してからは大変だった。元来、背広やネクタイは嫌いな人だったので、退職したときに京都市から払い下げを受けた古い制服と1着の背広と礼服を残し、すべて処分してしまった。
 そんな折、阪急梅田で背広上下10,000円セールがあったので飛びついた。候補者活動が始まっていたので、阪急に着いたのは6時30分頃であったが、催し物会場は大変な人出で、寸法あわせは20分待ちの盛況であった。特に私と同年代か少し若い世代が多く、この世代の生活の厳しさを実感したときでもあった。

 着ることも礼儀の一つと自分に言い聞かせて何とか背広姿をするようになってはいるが、着ているもので判断をしてはいけないという私の信条に変わりはない。根は若いときからのバンカラスタイルにあり、38年間の京都市職員としての生活がはぐくんだものである。

 昨年は選挙に始まり選挙に終わったが、今年はその結果を受けてさらに飛躍していかなければならない。友人は東に原発震災あり、西に大阪ハシズムありと言う。言い得て妙である。東に日本のおかれた現実が目の当たりに出来る状況があり、西にその解決策を巡る争点があると言い換えてもいい。

 民主党も、自民党も2大政党は何処も変わらない。そういう政党で分けることが出来なくなったし、してはいけない時代に入ったのだと思う。今対決すべきは、市場原理主義とも、構造改革とも、弱肉強食の資本主義を信奉する反動勢力を何とか押しとどめることにある。

 保守と革新がしのぎを削る。それが前面に出てはいけない。保守と革新が違いを見つめ合いながら手を合わせて反動勢力とがっぷりと対峙する、そういう状況を作っていかなければならないと思う。

 しかし、小選挙区制度はそれを許さない。私は選挙戦で地方からの改革を訴えてきたが、地方の大選挙区中選挙区制度はそれを残す余地をもっている。会派もはっきりとした政党別ではない。個人の信条別の要素が残っている。ここに一つの鍵があり、私もこの鍵で何とか日本の世直しを考えていきたいと思う。しかしまた、私の主張は保守と妥協せよというのではない。妥協の産物こそ大阪市長選挙の結果だからである。

 市民要求をまじめに真正面から考えること、最後まで話し合い民主主義を大事にすること、そういうしきたりを作っていけば、自ずと結論は出てくる。それに期待したいし、高槻市議会でもその結果をもっと出していきたい。

 最後に、この状況を変えるのは、市民自身であることをもう一度訴えたい。代議制は民主主義の一つの形態ではあるが、それだけでは市民要求は前進しないという大きな落とし穴をもった制度である。いわゆる多数決民主主義の跋扈である。放っておけば国の意思、言い換えれば財界やアメリカ一辺倒の政治が待っている。

 ウィナー テイクス オールが政治の世界でも貫かれたらおしまいだ。今の大阪はそう危険な状態にあることを改めて認識しなければいけない。

 署名や陳情、懇談、交渉ごとはなかなか進まないかもしれない。勝ち取っても微々たる成果かもしれない。けれどもみんなで喜び合えばその成果はもっと大きなものになる。その輪をもっともっと広げていきたいのである。