大飯原発運転差止請求裁判で格調高い判決が出た

 「原子力発電の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定しがたい。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である。」

 「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原子力発電所事故を通じて十分に明らかになったと言える。(中略)福島原発事故後において、この判断を避けることは裁判所に化せられた最も重要な責務を放棄するに等しいものである。」

 「対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震津波のもたらす事故原因につながる事象を余すところなくとりあげること。第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。」

 「全世界の地震の1割強が狭い我が国の国土で発生するこの地震大国日本において、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しに過ぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じうるというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような死せつんパリ方は原子力発電所が有する前記の本質的危険性についてあまりにも楽観的と言わざるを得ない。」

 「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点から見ると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残ると言うにとどまらず、むしろ根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ちうる脆弱なものであると認めざるを得ない。」

 「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判定すること自体、法的に許されないことであると考えている。」

 「コストの問題に関連して国富の流失や喪失の議論があるが、例え本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るるとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることを国富の喪失と当裁判所は考えている。」

 被告は、原子力発電所のの稼働がにCO2排出削減に資するもので環境面で優れていると主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転の継続の根拠とすることは甚だしい勘違いである。」


 この判決文を見て何か自分は遠回りしていたように思う。原子力発電を推進しようという人たちの口車に乗ってムキになって勉強し、それに反論しようと試みてきたように思う。しかし、問題はもっと単純だった。

 憲法が保障する人格権を侵すような経済活動は許されない。国富というものは、国民の豊かな生活があって初めて成り立つものであり、単なる楽観論でしかない原発再稼働は許されるべきではないということである。

 今日本の様々な場面で「いのち」がないがしろにされている。いのちの大事さを単純明快におそえてもらった有意義な判決であった。