今日は電話の多い日だった

 今日も相談が数件、生活保護や年金、障害認定、健康保険等の相談が多い。このあたりは38年の経験があるので何とかこなせる。

 今日は京都市の福祉事務所にも電話照会。私の名前を名乗ると、「ずっと前知更相にいた和田さんですか。」と尋ねられた。「この前事務所に来はったとき、どこかでみたことある人やと思てましてん」とも。仕事熱心でいい感覚をなさった女性職員だったのですぐに思い出した。この仕事をしているとこういうこともある。

 私は京都市に就職したとき、市史編纂所であるとか二条城とか文化観光方面での仕事がしたいと思っていた。そしてあわよくば教師への転職をと考えていた。
 しかし、配属されたのは左京区役所の保険課(国民健康保険国民年金の担当課)であった。仕事にはあまり興味が持てず、労働組合の活動ばかりしていた。
 一番印象に残っているのは、いい支部役員の方々の指導の下での支部活動、それも各課単位の職場活動を充実させたことと、70年の蜷川知事選挙である。当時の自民、公明、民社党相手に社共共闘で14万票の大差で勝利したことである。
 5年がたって人事異動があったとき、福祉事務所に配置転換され、生活保護の仕事を始めた。これが私の転機になる。労働組合の活動よりも生活保護の仕事の方がおもしろくなりのめり込んでいった。
 思えば、左京区役所で職場交渉をしていたとき、当時の課長は、私の出す職場要求の解決より、「こいつは福祉事務所向けの人材だ」と考えていたようで、私の希望であった文化観光局には回さず、民生局に回したようである。福祉事務所側にも、私の「仕事をせず組合ばかりやっている奴」という情報が入っていたようで、しばらくして、当時の次長から「君がこんな仕事熱心だとは思わなかった。これからは福祉事務所は組合活動に熱心な奴をとるのも大事だと考え直した。」とほめられてるのかけなされてるのかわからないようなことをいわれたことがある。

 これが運のつき始めで、以後ずっと民生局関係で仕事をすることになる。考えてみれば、最初の国民健康保険の仕事も民生畑の仕事で38年間ずっと民生畑で仕事をしたことになる。
 その土壌を育ててくれたのは左京区役所の組合のよき先輩方に恵まれたことであった。そして、末川博氏率いる立命館二部文学部の諸先生方、それぞれの集団指導のたまものであったと今でも感謝している。


 夜家に帰って野田改造内閣のニュースを見る。今もNHKは各閣僚の記者会見をひとりずつ放送している。

 野田改造内閣は、一言で表せば「自公すりより内閣」ということになる。自民党とは大連立を志向して、どちらも傷つかないように消費税値上げを争点から外して選挙を行うとすることであり、公明党にはこれから強行しようとしている定数80削減の波に飲み込まれて大選挙区で減らざるを得ない公明党議席を都市部で確保することにある。宣伝カーには「大阪維新の会」が使える。要はすべて国民をだます、あるいは重要課題を選択させないための選挙対策なのである。

 何回も言う。今大事なことは、

  ①社会保障の充実と大幅賃金引き上げ、雇用確保
  ②日米安保破棄、沖縄新基地建設反対、米軍基地撤去
  ③日本国憲法を守る
  ④原発反対、現在稼働中のすべての原発を即時停止
  ⑤住民自治に基づいた震災復興の早期実現と損害賠償
  ⑥消費税引き上げ反対
  ⑦TPP反対、日本の産業を守る

 ことである。これは夢物語ではない。こうしないと日本は立ち行かない状態にまで陥っているということを知るべきである。この争点をはぐらかしていくら改造しても、何も変わらない。どころか、さらに抜き差しならぬ状態に陥っていくだけであることを指摘しておきたい。