阪神淡路大震災17周年集会に参加

 今日は神戸新長田で行われた阪神淡路大震災17周年集会に参加してきた。主催は被災地反失業総行動参加団体連絡会である。

 福島原発震災当初から私たちの仲間は現地に赴き、自衛隊も入らない地域で災害がれきの後片付を現地の方と行ってきた。当時私は大事な選挙戦のさなかで行くことはかなわず、街頭で新聞やテレビのウソ報道を糾弾し、選挙事務所予定家屋前にインターネットの海外サイトで仕入れた福島第一原子力発電所の1〜4号機の無残に壊れた写真を掲示していた。当時はこんな鮮明な写真をどの報道機関も掲載していなかった。「なんですかこれ。むちゃくちゃや。」というのが皆さんの声だったことを思い出す。

 私が実際に現地に行ったのは10月になってからだったが、先発隊の活動のおかげで、短い時間に多くの方々からいいお話を聞くことが出来、東京の経産省交渉では、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの中手聖一さんにお会いすることも出来た次第である。

 今回の集会は、阪神淡路大震災を経験した方々を中心に、阪神淡路大震災17周年を期して、福島原発大震災への継続性のある援助を固めようと開いた集会で、講師は中手聖一さんにお願いした。

 今、20年の期限を理由に、阪神淡路大震災の復興住宅からの追い出しが始まろうとしている。しかしなお、その爪痕は厳しく、2011年になっても復興住宅での孤独死は耐えないという。
 
 福島では福祉や労働関係の特別措置の打ち切りが始まっている。子どものいのちがないがしろにされている。原発事故はあろうことか収束宣言がされはじめた。今もなお危機が続き、何時何が起こるかわからない状況下である。

 私自身も、発言の締めくくりで、「12年間守り続けてきた高槻のいのちを守る1議席を最大限に生かしていく」決意を表明した次第である。