ストップ!ヤマサクラ61大集会

 今日は伊丹市昆陽池公園で開かれたストップ!ヤマサクラ61大集会に参加した。

 ヤマサクラ61とは、中国と北朝鮮の連合軍(仮想敵国)が金沢と米子に上陸、大阪占領めざして侵攻してきたと仮定し、自衛隊部隊が米軍の支援を受けて殲滅するというコンピュータ上の演習のことである。これが憲法9条の否定する「武力による威嚇」でなくて何であろうか。反対行動は至極当たり前の行動なのである。

 昆陽池公園での集会には、いろんな団体の旗がたなびいた。壇上にも、社民党服部良一衆議院議員はじめ共産党社民党新社会党の議員が並んだ。私も紹介されて「こんなにいろんな団体が集まったのは久しぶりです。この力こそが日本を変えます。ともにがんばりましょう。」と挨拶した。

 集会後は国道171号線沿いの第3師団司令部のある自衛隊千僧駐屯地を通って、中部方面総監部のある伊丹駐屯地まで住宅地の中を4キロほどデモ行進した。デモ行進中、結構手を振ってくれる方が多いのには正直驚いた。御堂筋を歩いてもこんなには反応はない。やはり、千僧、伊丹、川西といった駐屯地、さらには大阪国際空港(旧伊丹飛行場)の近くということもあるだろうと思う。軍隊というものを身近に感じておられるのだろう。総監部では、ヤマサクラ61日米共同演習中止の申し入れをして、同駐屯地をヒューマンチェーンで囲んだ。

 解散後、門真の戸田議員が駐屯地に向かって「君たち自衛隊員も労働者だ。いじめや困ったことがあったらいつでも相談してくれ!」と大声で呼びかけておられた。私も何か言いたかったが、すぐには言葉が見つからず、黙ったままで残念だった。しかし、次からは言う。「平和な日本は破壊することからは生まれない。物づくりから生まれる。日本の第1次産業の惨状を見よ。日本を愛するなら平和のためにものを作ろう!」と。

 集会後は高槻にとって返して、福島原発被災者との交流会に参加、福島第一原発の地元大熊町から避難してこられた方のお話をお聞きした。
 福島第一原発から7キロの地点に住んでおられたという。地震で家の中はむちゃくちゃになっているが、家屋は無事。けれども家には帰れない。3月14日まで原発のことは何も聞かされていなかったとおっしゃる。みんな安全だと思い込まされていたし、80%が原発関連で現金収入を得ているので原発のことについては触れられない雰囲気があったと。
 本震の後も強い余震が何度も起き恐かった。この余震のために避難所に避難していると思い込んでいた。なんの説明も受けず、避難先に大型バスが来て、さらに避難すると言われた。それからは避難地を求めてバスで放浪、やっとある学校の体育館に受け入れてもらえたとのことである。原発の事故を知ったのは14日にテレビを見てだと言われる。
 これが日本の原発震災への国の、自治体の対応かと考えるとぞっとする。もし、若狭湾原発群で事故が起きても高槻市は同様の態度をとるのだろうか。「国の対応を見守ってまいりたい」とでも答えるのか。まさに、いのちを巡る危機が進行しているということを身近に感じた1日であった。