和田たかおを励ます会ご参加ありがとうございました

            和田たかおの市政報告
2014,11,30

 以下は当日の市政報告のメモです。当日お話ししきれなかった部分もありますし、表現が変わった部分もあります。

 皆さん、ありがとうございました。落語にお役所仕事を風刺した「ぜんざい公社」というものがありますが、今の劇などはその典型です。ある人がぜんざいを食べようと公社に行って、たらい回しされたあげく,食べたぜんざいは甘くない。甘い汁は全部公社の方で吸いましたという落ちになるのですが、私はこのぜんざい公社のやり方が、お役所だけでなく身近なところに広がってきているような気がしてならないのです。人と人とを結びつける「情」、「情け」といったものが少しずつ枯渇した社会になってきているのではないかと思います。
 松田陽子さんのお話をお聞きしていて同じことを感じました。
松田さんのご本に「生きているだけで価値がある」というものがあります。その中で松田さんは「宿命を使命にかえて生きていく」とおしゃっている。私なりに解釈させていただきますと、自らに与えられた現実を、脚色せずに、ありのままそのままに受け入れて、その中で自分の生き様を変容し、人々と協力し合って少しでもよりよい世の中、すべての人が幸せに生きていくことが出来る世の中を創るため、人と人とが手を取りあって生きていくことだと思います。そんな中で松田さんがおっしゃっている「ありがとう。あなたに出会えてよかった。」この言葉を、人と人との間で反復させる、これが「情」であり「情け」ですね。そして、お互いが「生きていてよかった」という気持ちを抱くことが出来る。そういう経験をみんなで積み重ねていける社会になればいいのになと思います。
 皆さんご承知の通り、私には障がいのある娘がいます。1歳になるまでは入退院の繰り返しでした。当時の主治医は富田町病院の○○先生です。娘はクベース
の中で陥没呼吸を繰り返し、生死のふちをさまよっていた時期があります。そん
な中で、彼女からはまず「命(いのち)の大切さ」を学ばせていただきました。松田さんのご本から頂戴しますと、「死と隣り合わせになりながら、一生懸命、生きている人たち。・・・最後まで果敢な生き様を見せてくれて、私たちを励まし続けていてくれる人・・・。」そんな光景になるのでしょうか。この世に命をいただいてから今日まで、皆さんに支えられてしっかりと生き抜いています。彼女と共に生きてくる中で、「障がいを持って生きること」「生きること」その中で大切なことは「心と心を結び合わせること」「人格を育むこと」ということも学ぶことが出来ました。
 さらにその経験を今「老い」と向かい合ってどのように活動出来るのか、それを支える地域をどのように変えていけばいいのか。それが私の現在のテーマにもなっているわけです。
 松田さんは、子どもを虐待をする親の問題についてもご本の中で触れられています。私は高槻市の人権推進委員会委員をしておりまして、あるとき、子どもの人権について論議する場面がありました。高槻市から出された原案は、子どもの人権については記されていたのですが、親の立場、人権について触れられていませんでした。「親だって現代社会、新自由主義構造改革路線の社会から虐待を受けている。」「資本、情なし」といいますが、人を蹴散らかして「利益をむさぼり食う」ことが当然の社会になってきている。こんな中で子どもたちの人権を守るためには、まず親の人権を守ることが必要。家庭福祉に着目しない虐待分析は底の浅い分析である。」と私は批判しました。松田さん流に申しますと、「親ばかりを責めないで」ということになり、「誰よりも母親が苦しんで、抑えきれず、たまたま横にいる「弱者」に向けられてしまう。悲劇をなくすのに大切なのは、母親に「ひとりじゃないよ感」をもたせること」と結んでおられます。「人間にとって一番つらいことは『孤独』である。」とも言っておられる。その通りだと思います。今、多くの人たちが孤独にされています。人間は単数では生きていけない。複数でなければ生きていけない。お互いが大変なところを助け合ってしか人間は生きていけないのです。弱肉強食の社会から「お互いに大変ですね。」と自分たちで手を取り合って変えていける社会にしていかなければならないのです。
 これが、私が38年間福祉の仕事をし、仲間の反論にも耐えてやっとたどり着いた結論です。ところが、彼女はまだ × 歳でいらっしゃいますから、その洞察力の鋭さに驚いているところです。
 さて、松田さんのいいお話に感動して少し前置きが長くなりました。
 これから、2011年4月24日にみなさん方のお力で高槻市議会議員に当選させていただいてからの活動についてご報告させていただきます。

 私の市議会議員としての活動は大きく7つに分かれます。

 1点はみなさん方からのご要望を受け直接高槻市の担当部署と掛け合ってそのご要望を実現する活動です。これは富田公民館の備品の購入(ガスコンロ、畳、蛍光灯)【備品購入170万、消耗品400万、修繕料570万⇒540万、350万、475万で計230万増)】から始まり、富田アンダーの照明増設、でこぼこの生活道路の補修、富田村踏切の改良、出会い頭衝突回避の交通安全対策、水路危険対策としてのガード設置、いずれの問題も、これまで他の議員さんに頼んでもいっこうに実現しなかったということですから、私には不思議としか思えません。さらには玉川橋団地へのバス便の増発なども実現させていただくことが出来ました。さらに、市街地整備促進特別委員会委員として富田の街づくり、富田芝生線整備の問題についても地元の皆さんのご意見をお聞きする中でその声を市政に届けてきました。

 2点目は市民運動と行政の橋渡しをする、市民運動とともに活動するということです。これは2011年の選挙の約1ヶ月前に起きた東日本大震災福島原発事故の被災者の救援活動、学校給食から放射能に汚染された食品を取り除いていく運動から始まりました。高槻市にも衛生研究所を建設することを提案するとともに、制限的ではありますが、大阪府の衛生研究所で検査を行う態勢も出来ました。さらに、若狭湾沿岸にある原子力発電所(志賀、敦賀、美浜、大飯、高浜、そしてもんじゅ)、高槻市はその80キロ、250キロ圏内に入ってくるわけですが、事故を起こした場合を想定して、放射能測定機器の購入と測定実施にも結びつけることが出来ました。また、福祉の分野では精神障がいのある方の医療費助成実現に向けての運動とも関わることが出来ました。この要望はまだ実現していませんが、当事者運動の高揚の中で、今年2月に大阪府議会で請願が全会一致で採択され、実現まで秒読みの段階に至っています。この時から始まった上牧行動は51回続いていて、私も本当に時々ですが参加させてもらっています。最近ではヘイト団体憎悪をもって差別を煽動する団体のことですが、このパネル展阻止のため、新しい仲間の皆さんと交流することが出来ました。

 3点目は差別・人権侵害に反対する活動です。これは高槻市内の問題だけではなく、大阪府下のみならず京阪神にの仲間と闘ってまいりました。「住まいは人権」と言われますが、高槻では富寿栄住宅の修繕問題や建て替え問題、植木団地の一方的な廃止問題、西宮市やJR奈良駅前の改良住宅追い出し問題、さらには、差別捜査で無実の罪に陥れられた、いわゆる狭山事件石川一雄さんのえん罪をはらす活動にも皆さんと一緒に取り組んできました。これらの闘いに出向いているのも高槻市議会では私1人です。

 4点目は3点目の差別・人権問題とも絡むのですが、日本の右傾化に抗う(あらがう)地方からの活動です。わずか50秒の君が代斉唱時に起立しなかったことで、38年間子どもたちから慕われた先生を学校現場から奪ってしまう。それも手続違反でそれを行うというとんでもない教育委員会の人権侵害事件、さらには、9月に総合市民交流センタークロスパルで行われた韓国・朝鮮の人たちの差別を煽る「在日特権を許さない市民の会」のパネル展中止を求める活動の先頭に立って闘い、ヘイトスピーチを行うもの、いわゆる憎しみをもって差別煽動を行う団体を糾弾するとともに、高槻市は差別に加担するようなことがあってはならないと一般質問で追及しました。この問題を正面から取りあげているのは、大阪府門真市の戸田議員ですが、反ヘイトの一翼を担うことが出来、現在兵庫県西宮市、大阪府東大阪市とその闘いは脈々と引き継がれています。これらを議会で取りあげているのも私ただ1人です。

 5点目は私の専門である福祉の問題での闘いです。これについては、制度論から高槻市を追及するのではなく、日頃の生活相談から出てきた現に困っておられる方の立場に立って市当局を追及するというのが私のスタンスと、これで押し通してきました。
 介護保険では、高槻市の介護認定の厳しさについて追及しました。障害のある方の福祉の問題でも、さまざまな問題について追及し、窓口での待ち時間を減らすため障がい福祉課の窓口を広げさせることにも成功しました。65歳以上の障がいのある方の介護保険優先問題についても、当事者の声をお聞きする中で、国の通知にもない高槻市独自のローカルルール、高槻市の不当な障がいのある方への差別といってもいいと思いますが、これについて当局を追及しました。障害のある子どもたちの教育の分野でも、サポート教室の充実、特に通級回数制限問題について追及しました。国民健康保険の問題については、その取扱について一番被害にあっておられる零細企業、個人事業主の団体の方からその厳しい事態とお伺いし、議場で負担の重い保険料問題と受診抑制を招く給付の問題について高槻市を追及しました。団体との話し合いの中で、初めて国保について精通している議員に会ってその問題点を共有できたという思いになっていただけたと思います。これが大事なので、市党派で識別するのではない議会と庶民をつなぐ活動なのです。また、児童扶養手当の問題については、実際に受給なさっている方の定時届けに同行する中で経験した、申請権をないがしろにする「事前相談前置主義」とも受け取られるホームページの記載と窓口規制を改めさせることが出来ました。生活保護では、業務知識不足から生じた高槻市に責任のある問題を、弱い立場にある生活保護受給者に責任転嫁する高槻市の市政を厳しく追及し、業務の公正な実施に貢献することが出来ました。受給者にまた、生活福祉課の公金詐取事件では、高槻市の構造的な不正を、たった1人の職員のすべて責任を押しつけようとする高槻市の姿勢を追及しました。これら、業務の詳細に立ち入った追及をしているのは私ただ1人です。

 6点目は、これは私のライフワークともいうべき相談活動です。一部に私1人の力ではどうしようもない、力足らずで住民の皆さんの運動の輪を広げることでしか解決がつかない問題もありましたが、福祉の問題についてはそのほとんどを解決することが出来ました。プライバシーの問題から多くはお話しできませんが、私自身も大いに学ばせていただくことも出来ました。これからもこの活動をメインに私の市議会議員としての活動を行い、たとえすぐに解決できない問題に遭遇しても、先ほどの松田さんのお話にもありました通り、「和田議員に会えてよかった」「話を聞いてもらっただけで気持ちが落ち着いた」「同じ立場のお友達が見つかった」と言ってもらえるような相談活動めざし精進していきたいと思います。

 7点目は濱田市政の後ろに控えている安倍暴走超右翼政権とのさまざまな分野での対決です。
 11月21日衆議院は解散されました。12月2日には総選挙が告示,14日は投票日です。何故今の時期に総選挙なのか。はっきりしていることは、先に延ばしては安倍政権がもたない、2009年8月と同じことが起きてしまうという超右翼暴走安倍自民党の危機感です。
 沖縄の辺野古基地問題は、沖縄県知事選挙で沖縄県民がみごとな結論、反対の意思表示を示した。まずこの選挙がなかったことにしたいというのが安倍政権の目論見です。アベノミクスは大企業と資産家を大もうけさせましたが、庶民には格差と貧困をもたらし憲法25条の実質改憲をすすめただけです。原発廃炉の問題では、再稼働準備中の川内では御嶽山の突然の噴火で反対運動の指摘が現実味を帯びてきた。敦賀活断層、大飯は人格権を認めた樋口英明裁判長の判決がでる。東北の復興は遅れに遅れる。原発震災被災者である福島の人たち、子どもたちを棄民化する。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)では重要5品目である米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、でんぷん類までもが危うい。医療産業にも影響が及び混合診療が始まるという危機も知れてきた。日本国憲法改悪プログラムでは9条も96条でも庶民の抵抗にあう、さらには立憲主義の破壊ということで改憲論者、官僚までが反対に回る。日本版NSC法(安全保障会議設置法)、特定秘密保護法は何とか通せたけれども、1年たってもなお反対が続いている。プログラム法案による福祉の後退(介護・医療・年金・保育など)は庶民の怒りと顰蹙をかっている。消費税を上げるにも経済状況からして誰が考えても出来ない。庶民との対決は深まるばかりでにっちもさっちもいかない。しかし、今なら代替勢力がないから過半数は最低とれるだろう。政権は温存できる。こうした判断に基づく「今のうちに解散」、庶民の怒りが沸騰しないまでにという、「までに解散」だと私は考えています。
 しかし、これについても、沖縄県では庶民が反撃に立ち上がりました。小選挙区保守系無所属民主党共産党社民党自民党の一騎打ちが実現したのです。私たちもこの沖縄の闘いの学ぶ必要があります。「仕掛けられたら仕掛け返す」という庶民の力が沖縄では生まれ始めているのです
 以上3年間の活動のご報告をさせていただいてまいりました。最後に、私自身来年4月19日告示、26日投票のの統一地方選挙で2期目に挑戦しようと決意しています。本当にありがたいことですが、さまざまな方から、必ず勝利してほしいといった激励のお言葉をたくさん頂戴しています。
私は3年前、選挙告示の前日の会議で、私を応援していただいている皆さんの前で、「私が当選したとしても、高槻市政を動かすようなおきな力は発揮できないかも知れない。しかし、オール与党の庶民の声が届かない高槻市政を許すことは出来ない。そういう闘いである。」ことを申しました。今もその気持ちに変わりはありません。
 小西院長の時代には小西院長がいなければ議会で問題にもされなかったことが多くあるのです。小西院長が同和問題介護保険問題で当局を追及なさったその姿は、心ある職員の中では語りぐさになっているのです。小西院長の伝統の議席は、議会の中で1人孤軍奮闘することもいとはない貴重な議席として受け継いでいかなければならないのです。これが私に2期目の立候補を決意させたものであり、もう1期議員をさせていただきたいという私の願いでもあるのです。それを産み出す原動力になっていただけるのは、富田町病院、うえだ下田部病院、守る会、富田下田部地域を中心にした皆さんお声が支えなのです。私は私心をもって議員に立候補するのではありません。高槻市政を住民の意思が反映された、日本国憲法に保障された地方自治が実現する自治体にすべく立候補させていただくのです。このことを最後に申し上げて私の市政報告とさせていただきます。ありがとうございました。

以下は時間がなく割愛されました。
【決意表明】
温かい励ましのお言葉、本当にありがとうございました。和田たかお、2期目当選に向けてがんばります。
 来年から議席は36から34に2名減になりました。そこに有力議員の支援する候補、5人から4人に人数を絞った党の女性候補、前回は落選しましたが、相当の得票を得ている無所属候補2人、西宮市長の元秘書の若手新人候補と風を呼ぶイケメン3人組。さらに、「風」だけが頼りの候補も「風」にのりますと無視できません。
 私は9月議会で「革新無所属」を直ることを宣言しました。世の中にいう自称他称の「市民派」では、しっかりとした革新の立場に立てない、働く者、真面目に30年、40年働いてきた方々の立場にしっかりと立てない、虐げられたものの立場にしっかり立ちきれない、議員が先頭に立たなければならないときに先頭に立てなければ議員になった意味がない。そのことを4年間の議会活動で知ることが出来ました。
 統一地方選挙まで5ヶ月を切りました。どうかこうした私の立場「革新無所属」という一見古めかしい立場をご理解いただき、皆さんの意見を代表する議員としてさらに力を与えていただきたい。そして、当選したからといってはしごを下ろすのではなく、ご一緒に悪政と闘っていただきたいのです。そのことを最後に申し上げまして私の決意表明とさせていただきます、ありがとうございました。 
   2014,11,21記