2015年統一地方選挙結果について

 2039人という多くの方々からの暖かいご支援を賜りながら、そのご支援を当選に結びつけることが出来なかったことをまず最初に深くお詫びも申し上げます。

 もっと、早くご挨拶すべきでしたが、「和田たかおを励ます会」幹事の皆さんのご意見も賜りたいと考え、5月7日に会議を開き、5月11日に拡大会議を開くこととなりました。

 以下は5月7日の幹事会で概ね了承された骨子に、当日のみなさん方の討議をふまえ、大幅に加筆したもので、5月11日の拡大会議に提出予定の未定稿の文書です。


   2015年4月26日執行高槻市議会議員選挙結果について

1.私たちは99年選挙で6,560票、03年選挙で4,817票(小西2,558、森田2,259)、07年選挙で3,390票、11年選挙で2,339票で議席を得ましたが、今回15年選挙は2,039票と300票を減らして37位に終わり、4期16年間に渡って守り続けてきた高槻市議会の貴重な1議席を失うに至りました。

2.候補者として、両守る会のご推薦をいただき、励ます会、選挙事務所ボランティアほか、前回選挙よりも多くの方々、新しくご参加いただいた方々の熱烈で献身的なご支援を得ながら、当選に結びつけることが出来なかったことについて、候補者として深くお詫び致します。

3.お一人おひとりが候補の必勝めざし、最後の最後まで闘っていただいたことに心から感謝致します。「新しく参加していただいた方の幅広い活動」、「候補と一緒に寒風の中、小雨の中、日差しのきつい中でのご挨拶」、「候補をのせて運転しながらの知人宅への支持訴え」、「身体がご不自由な方の、これまでより一回りも二回りも広い方々に支持を訴えて紹介カード拡大」、「ええぃ、思い切ってこの人もととのご支持依頼」、「ビラやパンフ、『市政革新』のポスティングや街頭配布」、「早朝から駅頭でのご挨拶へのご参加」、「街頭宣伝に参加」、「選挙事務所での電話作戦」、「ご夫婦、家族でささえながらのご活動」「懇談会や集会へのご参加と参加のご依頼、場所提供」、「守る会の行事での候補の紹介」、「候補のポスター掲示掲示の依頼」、「コンピュータ入力作業」、「地図上の点うち作業」、「炊き出しの計画と参加」、「選挙はがきの宛名書き」、「事務所当番」、「選挙カーの運転、ウグイスや旗を持っての宣伝戦」、「1票獲得のため、ご不自由な身体をおしての投票」、「お身体のご不自由な方の投票所までのご案内」などなど数えあげれば切りがありません。特に今回の選挙の特徴は、初めて選挙活動をしていただいたという方々が多かったことで、こうした方々には本当に感謝の気持ちで一杯です。「悔しい、涙が出た」、「固く手を取り合って、残念でした」との声に接すると、このご期待に添えなかったことが一番私には悔やまれ、その思いは日々強まってきます。

4.さらに、今回の教訓として、前回のように、候補が「留守宅を訪ねて何回も訪問した」、「東海道線以北地域を全地域まわった」、「守る会のボランティア活動、サークルで支持をお願いした」ということが出来ずに終わったこと、「おとなしすぎる」、「勝利をもぎ取るという気迫がない」、「心に訴えるものがない」というご批判のほか、「ご自分や親族の方のほかに知人の紹介をしてもらった」という経験が少なかったとともに、「オルグ団の不足と名簿の絶対数不足の中で勝利への確信が持てない」とのご指摘もいただきました。この他、前回より6ヶ月あまり取り組みが遅れたことや高齢者や障がいのある方の選挙権をどのようにして守っていくのかも課題になりました。さらに、「職員の協力が少なかったのではないか」、「無所属が強調されすぎたのではないか」、「京都市職員の経歴はマイナスで、別の表現方法があったのではないか」とのご指摘、具体的に紹介カード集めに行った方々からは、「選挙に無関心な人が多い」、「私は選挙に行かないと言われた」、「自分で決めると突っぱねられた」、「選挙どころではない」などのお声も頂戴しています。

5.今回の選挙のある地区の票読み結果で、前回比86%にとどまったことが物語っているように、全体でも前回得票比で87%しか票が得られなかった事実は重いものがあります。結果的に見れば、前回票である2339票に31票上乗せすれば、最下位当選が出来たのです。私自身今回の選挙を2500〜3000の大接戦と認識していましたから、今回の選挙で維新がこれだけ上位を独占し、26000票と投票総数の20%たらずを獲得するとは想像もしていませんでした。昨年の総選挙で自民、維新で10万余票を獲得したこと、彼ら、特に維新の組織性を甘く見すぎていました。もう一度各地区の票読み結果の分析を進め、どの層で、何が起こったのかを見極めていく必要がありますし、二木候補が752票を減らし、私が300票減らし、高木候補が36票と微増した分析もしなければなりません。

6.私自身、今回の選挙で、①くらしと経済、②いのちと戦争反対、③エネルギーと原発反対、④地方自治破壊と橋下大阪都構想、⑤日本国憲法改悪で戦争への道か、地方からこの国の政治をみんなの手で変えるのかと、時代の争点を的確に捉え、4年間で出来たことと出来なかったことの総括文書も事務所におき、富田団地だけではありましたが、全戸配付しました。特に私自身が暴走する国政の動きに注目するあまり、地域活動の細かな分析、自らの地域での力量、支持組織内での自らの力量を正確に分析し、対応していくことが出来ませんでした。

7.正しいことを訴えていれば理解してもらえる、そんな甘い想いもあったように思います。一番の反省点です。その正しいと私が思っていることを、もっともっと相手の立場に立って理解していただけるように訴える力、情感にまで訴える力も足りませんでした。ただ、投票いただいた2039人の方、今回応援していただいた方々にはその想いはお伝えすることが出来たのではないかとこれだけは自負していますが如何でしょうか。

8.私たちは国会両院の議席で大きく後退し、高槻市議会でも大政翼賛政治を許してしまいかねない状況に追い込まれるなど敵に大きく攻め込まれてしまいました。しかし、これからも闘いは続けなければなりません。闘わなければ生きていけない時代に立ち至っているからです。子や孫たちに豊かな将来を残せないからです。私たちは2039人の砦で孤塁を守りながら、他の地域で孤塁を守っている砦と連携し、勝利のための明日の闘いを準備していきたいと思います。

9.この4年間、市議会議員としての市議会での活動。暴走する安倍政権に反対する各分野の活動、個別に寄せられる深刻な生活相談とその解決などに精一杯で、どうしても「両守る会」の地道な日常の活動に参加させていただく機会が減ってしまったことも大きな敗因の一つと考えています。両守る会のご推薦をいただきながら、特に富田健康を守る会においては、議員の任期途中で就任した会長として、会の運営全てに目を行き渡らせることが出来ず、その職責を全うしきれなかったことを深く反省しています。

10.そんな中でも、励ます会の皆さん、両守る会の皆さん、地域の皆さん、そして多くの仲間の皆さん、小西先生、植田先生、白川先生、角谷先生、徳本先生そして水戸先生の各位に今回の選挙にご支援いただいたことを深く感謝いたします。

11.これからも、両守る会の一会員として、また、この4年間の様々な活動でご一緒させていただいた方々とともに、「いのち第一 福祉は権利」、「原発反対 憲法を守る」、「格差、貧困、差別、人権侵害を許さない」、「戦争反対 平和を守る」という4つの旗を掲げて、額に汗して働く方々、働いて来られた方々、家事労働で家族を支えてこられた方々、そして、その子どもたちが、少しでも幸せに暮らしていける世の中の実現をめざし、私たちを理論的に支えていただける方々、財政的にささえていただける方々とともに奮闘してまいりたいと思います。

12.そしてこの「戦後最大の危機」と言われているこの時期に、皆さんとともに有効な闘いを築きあげていきたいと考えています。この闘いは豊かな地域を築きあげる闘いでもあります。1人ひとりの抱えている問題をみんなで解決していく闘いでもあります。それには、守る会活動、医療・介護・福祉のあり方についてなど全ての活動についての細部にわたる点検と総括が必要です。

13.皆さんとともに、活動全般についてどこに問題があり、何が求められているのか。有効な闘いを組織していくその方法論についてしっかりとこれからも話し合いを続けさせていただきたいと考えています。ご支援本当にありがとうございました。

 2015年5月11日
  和田たかお