高槻市職労団結旗開き

 高槻市役所には多くの組合がある。

 自治労系の高槻市職員労働組合高槻市徴収員労働組合高槻市学童保育指導員労働組合高槻市保育所保育スタッフ労働組合高槻市社会福祉協議会職員労働組合高槻市社会福祉事業団労働組合高槻市図書館非常勤、高槻水道サービス公社労働組合高槻市学校給食調理員非常勤労働組合、この他にも自治労連系の高槻市役所労働組合高槻市非常勤職労、ほかにもあるに違いないが、私にはまだよくわからない、

 今日参加させていただいたのは自治労系の高槻市職員労働組合である。高槻市はここが主流の組合らしい。

 私も自治労京都市職労の出身である。というか、市役所に入ったときは自治労だったが、いつの間にか自治労連京都市職労に移ってしまっていたというのが正解で、この移行については組合費の中央組織への上納問題が絡んでいて、もう一つの労働組合である自治労京都市職との間では、いまだに議論のあるところではある。

 私が青年部で活動していた頃、高槻市職労のみならず、大阪衛都連(衛星都市連合)という組合の連合体は、強い組合としてあこがれの的であったことだけは覚えている。ただ、これが当時の自治省の逆鱗に触れ、ラスパイレス指数とやらを持ち出して、地方公務員の賃金を本来比較できない国家公務員賃金と比較し、「地方公務員給与は高すぎる。高い地方は大阪近辺に偏っている。」と攻撃をかけてきた。公務員攻撃の走りともいうべきもので、これで、私たち地方公務員も住民共闘の必要性を痛感させられ、「住民のいのちと健康を守る闘い」が標榜されるなどの変化を遂げていったことが思い出される。

 私が退職するとき、送別会を持っていただいた。このとき20分の時間をあげるから38年を振り返れといわれ発言を求められた。

 私は京都市役所の労働組合が3つ(もう一つはユニオンらくだ)に分かれていることに触れ、これからの公務員攻撃、勤労市民に対する攻撃を考えれば、組合が「ものの考え方」や支持政党で分裂していてはいけない。労働組合はサークルでも政治集団でもない。要求で団結すべきものであるという原点に立ち戻ってほしい。そのことを3つの組合のどれもがいつまでたっても提言しないことは、非常な不幸であるし、情勢について認識不足であることを訴えた。今でもこの発言は間違いでなかったと考えているし、情勢はそのことを求めていると考えている。

 前置きが長くなったが、久しぶりに「団結」の文字をみたのは心地よかった。出来ればもっと大きく朱書きしてほしかった。旗開きなのだから、それぞれの労働組合の旗もあってよかった。

 「いのち第一 福祉は権利、原発反対、憲法を守る」と言っている私だから、もっと地元労働者とおつきあいがあってしかるべきであるが、これが意外と少ない。おつきあいがあるのは高槻医療労組のみである。今日はいろんな労組や各種団体の役員さんと会えて本当によかったと思う。

 「東に原発大震災あり、西に大阪ハシズムあり」である。原発震災の後始末に危険を顧みず奔走しているのは自治体労働者である。大阪ハシズムでまず攻撃の矢面に立たされるのも自治体労働者である。大阪自治労にも是非がんばってほしいし高槻市職労もその一翼としてがんばってほしい。また、このブログをご覧いただいている方々もわかってほしい。攻撃される自治体職員を今勤労市民の側が見殺しにすれば、拍手喝采すれば次の攻撃は勤労市民にかかってくる。
 
 消費税の前提条件として国会議員の定数が80名減らされればどうなるか。大阪府職員基本条例は。自治体職員も労働組合員である。大阪府教育基本条例は。今大新聞は何を言っているか。消費税増税、TPP賛成、一辺倒ではないか。情勢はしなやかに切迫している。

 最後はマルティン・ニーメラーの言葉で今日は締めくくりたい。

 ナチが共産主義者を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何も声をあげなかった。

 ついでナチ党は社会民主主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会民主主義者ではなかったから何も声をあげなかった。

 ついでナチ党は労働組合員を攻撃した。私は労働組合員ではなかったから何も声をあげなかった。

 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人、障がい者等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何も声をあげなかった。

 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した

 しかし、それは遅すぎた。